翻訳のヒント[バックナンバー]

2022年4月 翻訳のヒント(英訳) - 「訳語で変わる訳文の雰囲気」

 文芸翻訳と異なり、特許明細書の翻訳文には訳者の個性が出にくい傾向があります。とは言え、背景技術等の訳文にはある種のトーンが感じられることがあります。そうした個性自体は良いのですが、そのトーンが当業者や審査官に違和感を持たせてしまっては良くありません。この違和感の原因の一つには、「当該分野で馴染みがある言葉(即ち、業界用語)」が使われていないことがあります。
 翻訳者があまり馴染みのない技術分野の翻訳をする場合、各用語を辞書や用語集で調べたり、サーチした結果(主に件数)を参考にすることになりますが、それだけでは不十分だと思います。今回は、一例として半導体ウエーハ加工の英訳における用語選択を取りあげます。

1.「研磨」

 シリコンウエーハを薄化する際、裏面が研磨剤やグラインダで研磨されます。このプロセス自体は、「硬いもので磨く」を意味する動詞 grind に相当します。しかし、半導体加工分野では数十ミクロンの研磨量であることが多く、また研磨後の表面が磨かれた外観を呈することから、grind より polish が優先的に使われます。実際に CMP (chemical mechanical polishing) や back-polisher 等、polish の使用例が多く、現場では polish に違和感がないはずです。

2.「剥離」

 半導体デバイスウエーハ製品は、製造されたウエーハを支持基板から「剥離」することで得られます。「剥離」と言えば一般に peel、separate、remove 等の動詞が浮かびますが、この場合、他の分野であまり使われない debond という動詞も使われます。これは、支持基板に仮接着させたウエーハの結合を解くという意味に由来します。実際に半導体業界では、このような「剥離」を debonding と呼び、「剥離」装置はデボンダー(debonder)として販売・利用されています。debond はこの業界に限っては違和感のない用語です。

 ここで、仮に polish や debond 以外の用語を使ったとしても、技術的に誤訳とは言えませんが、読者(特に審査官)に「あまり使わない言葉遣いだな」や「違う分野の方の文章だな」との印象を与え兼ねません。また、クライアントからは、「期待される翻訳品質でない」と言われるかもしれません。いずれにしても、polish や debond よりは望ましくない選択です。このようなことは、半導体ウエーハ加工の用語に限らず、他の分野でも同じように起こり得ることです。

 翻訳者は訳語を見つけたり、Google でのヒット件数を確認すると一安心しがちです。しかし、ここで満足せず、念のため更に当該技術分野における製品のカタログや論文、ニュース記事等に当たり、現場事情を知り、最新情報を得ることでいかにもこの分野らしい」との印象を与える用語を使うようにしましょう。これにより、翻訳文のイメージが上がり、対象の分野に特化している雰囲気がでます。翻訳の更なる品質向上への一つのキーとなるでしょう。

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