翻訳のヒント[バックナンバー]

2019年2月 翻訳のヒント (英訳) - 落とし穴あり

 ベテランであれ初心者であれ翻訳者は、サラッと訳せたときには思いもよらず落とし穴にはまっていることがあるものです。今回はバイオアッセイ関連の特許明細書中の表現を一例として挙げますので、皆さんは次のフレーズを英訳してみてください。

(原和文)「標的抗体を含有し得る生体から分離されたサンプル

 まず実際にあった翻訳者の訳です。一見良さそうですが、何か問題に気が付きますか?

  a sample separated from a biological body capable of containing a target antibody


 最初の問題点は、「抗体」を含有する主体が「生体」なのか「サンプル」なのかが原文の文言からは曖昧なため、直訳的な英文にもその曖昧さが反映されています。そこで、明細書を詳細に見たところ、抗体は「生体」にではなく、血液、尿等の「サンプル」に含まれることが分かりました。そうすると、「サンプル」を修飾する要素が「抗体を含有し得る」と「生体から分離された」という二要素であることを明確に表現するには、次の英文のように"and"の挿入が必要になります。

  a sample separated from a biological body and capable of containing a target antibody


 次に、「し得る」についてです。原訳文の"capable of" には「する能力がある」という原意があります。しかし、このケースでの「し得る」とは、「アッセイの結果検出されないかもしれないが、含まれている可能性を十分想定した」という意味です。従って、"capable of" を「潜在的に(即ち、含まない場合も想定される)」という意味を表す"potentially"に変えることで適訳にします。

  a sample separated from a biological body and potentially containing a target antibody


 次は「分離」です。「分離」と聞くと自動的に separate やisolateと訳してしまいがちですが、この例では、全体から一部分を分離する実験操作ではなく、生体からサンプルを取得・回収するというのが事実上の意味です。通常、アッセイの現場では複数のサンプルを集めることから、sample にはcollectという動詞が組み合わせて使われます。sample collector やblood collectorという器具名でも使われています。

  a sample collected from a biological body and potentially containing a target antibody


このように変更を加えていくと、より正確かつクリアに状況把握できる訳となりました。もし更に明確さを求めるならば、関係代名詞を使うこともできます。

  a sample which has been collected from a biological body and which may potentially contain a target antibody (which can containでないことに注意)


 翻訳者は自身が落とし穴にはまっているわけですから、訳文のおかしいところに気が付いていません。それを最初に指摘できるのはチェッカーやプルーフリーダーなど第三者ですが、翻訳者自身であっても、余裕があれば少し後で自分の訳文を読みなおすだけでも落とし穴から脱出できると思います。いずれにせよ、難しいことではありますが、翻訳者は「第三者的視点」を持ちたいものです。


*****


過去の翻訳のヒント
その他関連項目