翻訳のヒント[バックナンバー]

2017年10月 翻訳のヒント(英訳)- 単数複数、化学分野では

 英語では明確に意識されている単数複数の概念は和文に文字上現れないことが多いので、単複の表現を伴わない和文からの英訳の際には、具体的状況を思い浮かべる必要があります。

 化学・生化学分野の特許明細書の実施例の翻訳はその一例でしょう。実験操作の原稿は化学技術者が提供し、明細書になったものを読むのは当業者やその分野の審査官。特に単複を明記しなくとも誤解は生じないのですが、現場の経験に欠ける翻訳者は対応に苦慮することがあると思われます。今回はクロマトグラフィーによる典型的分離操作を例にとって見てみましょう。

和文例1「得られた反応物を分取薄層クロマトグラフ(TLC)(シリカ)上で展開し、目的のアミン化合物Xに対応するスポットをプレートから回収した。これにエタノールを加えてろ過することにより得られた溶液は400 nmに吸収ピークを示した。」

 生成物をシリカの薄層に点状にスポイト等で打ち、溶媒で展開する操作です。この結果、目的化合物Xを含むスポットが他のスポットと異なる位置に分離されます。この目的スポットのみを削り取りますので、(目的物に対応する)スポットは通常単数です。次の英訳文をご参照ください。

⋅⋅⋅ a spot corresponding to the target amine compound X was removed from the plate. Then, ethanol was added to the recovered solid, and the resultant mixture was subjected to filtration. The recovered solution exhibited an absorption peak at 400 nm.


和文例2「得られた反応物を液体クロマトグラフィーに付し、目的のアミン化合物Xを含む画分を回収した。展開液を一部留去して得られた液体は400 nmに吸収ピークを示した。」

 液クロでは連続して流出する流出液を少量ずつ回収します(分画操作による回収物、即ち画分)。操作条件にもよりますが、主たる画分以外に目的物が含まれる先行する或いは後続する複数の画分も回収し、全体をまとめます。従って、例2の画分は複数であり、測定に付した液体は単数と考えられます。次の英訳文をご参照ください。

⋅⋅⋅ fractions each containing the target amine compound X were collected and combined. Then, the eluent of the combined liquid was partially removed through distillation. The recovered liquid exhibited an absorption peak at 400 nm.

 上の和文例のように明細書では当業者の常識の範囲の手順を省略することがあります。もし、これらよりも詳細な説明(複数回操作を行った等)が明細書にあれば、それに沿って英訳上の単複を決めることになります。いずれにせよ、原文の情報に翻訳者の判断を加えた場合クライアントにコメントすることは必須です。現場での経験はあるに越したことはないのですが、もし無い場合でも技術者から情報を得たり、インターネットの動画等で操作の実態を把握することができます。実際の操作をイメージすることで英訳の正確さが向上します



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