2016年5月 翻訳のヒント (主に英訳) - 「基」の例示の訳と考え方
化学系の明細書における化合物の「基」の例示の英訳では、「基」を全て訳すのか、冠詞をどのように選ぶのか等、迷うこともあると思います。次の文は、明細書でよく目にする記載例です。これを例に整理してみましょう。「置換基Rは炭化水素基であることが好ましい。この炭化水素基の例としてはアルキル基、アリール基、アラルキル基が挙げられる。アルキル基の例としては、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、ペンチル基、ヘキシル基、ヘプチル基、オクチル基が挙げられる。」
明細書の詳細な説明のセクションでは、化合物の一般式中の基がとり得る具体的な例が挙げられます。総体的なクラス(タイプ)を表す(generic)基の名称から始まり、段階的により具体的な(specific)基の名称へと説明が進むことが普通です。
まず、第一文、第二文の英訳をご紹介します。
Substituent R is preferably a hydrocarbon group. Examples of the hydrocarbon group include an alkyl group, an aryl group, and an aralkyl group.
初出の炭化水素基はRの一例として不定冠詞付きの a hydrocarbon group と訳出し、次出の炭化水素基は「この炭化水素基」という概念として定冠詞付きの the hydrocarbon group と訳すのが自然です。そして、第二文では炭化水素基の具体例としての各基が挙げられていますので、それぞれ不定冠詞付きで an alkyl group, an aryl group, and an aralkyl group と訳します。
次に第三文は、「このアルキル基」即ち the alkyl group の具体例を挙げていますので、次のように訳せます。
Examples of the alkyl group include methyl, ethyl, propyl, butyl, pentyl, hexyl, heptyl, and octyl.
第三文では最も specific な具体例となりました。メチル基、エチル基等は一義的に決まります。また、例えばブチル基には sec -ブチル基や tert -ブチル基のように結合様式の違いが存在しますが、これらも一括りに「ブチル基」に含めることとすれば、一義的といえます。従って、ここでは a methyl group、a butyl group と訳す理由は特にありません。と言って、the methyl group とするのは具体例としては不自然です。そこで、冠詞や group を省き、基の名称(固有名詞)だけを訳出します。原文の「基」に対する訳として group が抜けていることにはなりません。
上の例では炭化水素基→アルキル基→メチル、エチルの流れで説明しましたが、例えばアニオン→ハライドイオン→クロリド、ブロミドのような場合にも同様に処理することができます。原文に「基」の有無を訳に反映させるより、訳者自身の中で、今訳そうとしている「基」の階層を整理することが大切で、その結果、合理的な訳になればよいわけです。
ちなみに、和文の第三文の「アルキル基の例としては、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、ペンチル基、ヘキシル基、ヘプチル基、オクチル基が挙げられる。」は和訳の観点からすれば、「アルキル基の例としては、メチル、エチル、プロピル、ブチル、ペンチル、ヘキシル、ヘプチル、オクチルの各基が挙げられる。」として、「基」の重複を避けたほうが読みやすくなります。
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