2009年8月 "without wishing to be bound by any theory"
今月は明細書和訳の際によく遭遇する上のフレーズのお話です。
日本の明細書ではこの表現に相当する定着した「常套句」が無いため、翻訳者は英文明細書に "without wishing to be bound by any theory" がでてきたとき、どう和訳すべきか戸惑ったり、どういう意図なのか疑問に思ったりすることがあるようです。
下の例を見てみましょう。
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While not wishing to be bound by theory, it is believed that pre-straining a polymer in one direction may increase the stiffness of the polymer in the pre-strain direction.
(USP 7567681)
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Without wishing to be bound by theory, it is believed that as the concentration of EC increases, the concentration of sodium can be increased without substantially affecting cell 10 adversely.
(USP 7566350)
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Although not wishing to be bound by any theory, it is believed that the addition of titanium causes a reaction with the surface of the boron carbide particles to form a stable titanium-containing compound on the surface that does not disperse in the matrix and prevents further attack by the aluminum alloy in the matrix.
(USP 7562692)
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While not wishing to be bound by any particular theory, applicants believe that this is due to the oxidation of N-ethyl-N-(2-hydroxy-3-sulfopropyl)-3-methylaniline and 4-aminoantipyrine by peroxidase and hydrogen peroxide.
(USP 7560271)
これらは皆、発明の実施態様の記述部分に現れる表現ですが、フリーランス翻訳者から納品されてくる訳は、次のように様々です(上の太線の部分についてのみ)。
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Aグループ(原文の意図が理解できないため忠実訳に徹しようとした、或いはある程度原文の意図は想像できているが日本語のセンスがないので「単語訳」の印象を脱することが出来ない例):
- A-1:
「理論によって拘束されることを願わずに、 ......と信じられている。」 - A-2:
「理論によって縛られることを望むことなしに、 ......と考えられる。」
- A-1:
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Bグループ(恐らく原文の意図が理解できていないという理由により、wishing の訳を省略した):
- B-1:
「特定の理論に拘束されることなく、 ......と信じられている。」 - B-2:
「理論に縛られることなしに、 ......と信じられている。」 - B-3:
「特定の理論に拘束されることなく、 ......と考えられたい。」
- B-1:
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Cグループ(wishing は訳出されていないが、ほぼ許容できる訳):
- C-1:
「理論に拘束されるわけではないが、 ......と考えられている。」 - C-2:
「理論により限定されるものではないが、 ......と考えられる。」 - C-3:
「理論に束縛されるものではないが、 ......と考えられている。」 - C-4:
「理論に制約されることなく、 ......と考えられる。」
- C-1:
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Dグループ(原文の意図を正しく理解していない訳):
- D-1:
「理論によって拘束されることがないとすると、 ......と信じられており、」 - D-2:
「理論に縛られないことを望まなければ、 ......と考えられる。」 - D-3:
「理論に縛られずとも、 ......と考えられる。」
- D-1:
Aグループの訳は、特許明細書の翻訳としては実害はないとは思いますが、日本語の語法からみても推奨できるものではありません。
Bグループの訳にはwishingに相当する訳がありません。
訳さなくても良いと判断したものと思われますが、その割にはこなれた日本語表現となっていません。この中で多少とも日本語表現を工夫したと思われるのはB-3ですが、一見よさそうなものの、この和文では「特定の理論に拘束されることない」のは読者になってしまい、出願人/発明者(即ちこの明細書の著者)ではありません。
正しくは、「特定の理論に拘束されたくないと願う」のは出願人/発明者なのです。
Cグループもwishing を訳出していないグループですが、日本文の語法及び原意図の伝わり具合の2点からほぼ許容できます。なお、「考えられている」より「考えられる」とする方が良いでしょう。
Dグループの訳は、訳者が原文の意図を正しく理解していないことが明らかです。
それでは、"without wishing to be bound by any theory" とはどういう意味で、また、どういう場合に使われるのでしょうか?
特許出願する場合、明細書に発明の効果の裏づけとなる科学的根拠や学術的原理を記載することは、法的には全く要求されていません。 言い換えれば、「本発明の効果」がどういう原理やメカニズムによって得られるのかが発明者本人にわかっていなくても、その特段の効果を示す構成が明細書にはっきり特定されてさえいればいいのです。そこが学術論文と異なる点です。 よく大学の先生方に「特許明細書はいい加減だ」とも言われるゆえんです。
とはいうものの、発明者としては審査官に何とか自分の発明の価値を評価してもらいたい、そして審査官に発明の効果が単なる思い付きや空理空論でないことをわかってもらいたいものです。 そのために発明者は本発明の効果がもたらされる理論的根拠を記載しようとします。
しかし、明細書の怖いところは、後日、第三者がそこに開示した理論的根拠とは別の理論・原理を見出し、「自分は別発明をなした」と主張したり、「無効理由あり」と主張したりする可能性があることです。 それを防ぐために、「本発明の効果は、このような科学的根拠・理論によって得られるものと考えられる」と記載して審査官を説得する一方、「その理論が本当に唯一妥当なものであると断言するものではなく、他の理論もありえる」と、将来を見越した予防線を張っておくのです。
よって、「いかなる理論にも拘束されることを望むものではないが、 .....であると考えられる」や「特定の理論に縛られることを望むものではないが、 .....であると考えられる」等の訳が許容できる訳として考えられるでしょう。