2009年4月 "incorporation by reference"
特許翻訳者を志望しているにも拘らず英語と技術にしか関心がない方が多いようですがそれでは片手落ちです。英訳にしろ和訳にしろ、明細書を翻訳する場合、明細書の記載要件が各国でどう定められているのかについて最低限の知識を持っていたいものです。
明細書の記載がどうあるべきかについては各国の特許法や施行規則に規定されており、現地特許庁の審査基準は更に細かく具体的に判断基準を定めています。日本と外国とを問わず、弁理士はそれをクリアするように考えて(言い換えれば、記載不備という拒絶理由を受けないように考えて)明細書を作成しています。訳者がその背景の意味を知らなければ正しい訳出ができるわけがありません。
法的背景を考えて和訳してもそれが日本特許法下では意味をもたない場合もありますが、だからといっていい加減でいいわけがありません。
米国特許法第112条の第一項は、明細書の記載要件の一つとして、明細書は「実施可能要件 (enablement requirement)」を満たしていなければならないと定めています。
これは、発明公開の代償として一定期間の独占権を与えるという特許制度の趣旨に鑑み、明細書の記載は、当業者がその発明を再現可能(いいかえれば実施可能)な程度に十分なものであることを要求しているのです。よって、例えばある製品に関する発明において、その部品や成分をどのようにして入手できるのか、あるいはどのように製造するのかに遡って記載することが要請されています。
多くの場合、そのような情報は先行する米国特許や公開米国明細書に記載されているので、MPEP(審査便覧)2163.07(b)では、製造方法や入手方法を具体的に記載する手間をかけずとも、そのような米国特許や公開米国明細書を「本明細書の一部として援用する」(incorporation by reference)と記載してあれば、その先行技術明細書の開示の全体が本明細書に記載されているとみなしてもらえるのです。これは「援用記載」といわれ、いってみれば呪文のようなものです。
MPEPは米国特許を和訳したり米国向けに明細書を英訳する翻訳者の必携の書です。但し、頻繁に内容が改定されますので注意しましょう。
『本発明を構成する要素の内、従来の要素(公知要素)をどのようにして入手、製作するかは米国特許第○○号公報に記載されているので、その全部を本明細書にリタイプして挿入する代わりにこの数ワードの呪文によってこの米国特許の数千ワードの開示がそっくりここに記載されているものと見做して下さい。』という意図を理解してください。
よって米国特許明細書に頻出する"incorporation herein by reference"の標準訳として「ここに本明細書の一部を構成するものとして米国特許第○○号公報の内容を援用する」をお勧めします。