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2023年8月 翻訳のヒント(和訳)- エステルの和名

 Methyl acetate や diethyl malonate のような比較的簡単なカルボン酸のエステルは、「(酸の名称)、続いて(アルキル基等)の順に記載する」命名方式に従い、「酢酸エチル」や「マロン酸ジエチル」という和名になります。この方式は日本化学会の化合物命名法の「有機化学命名法」に定められています。この命名法の詳細を知らずとも、多くの翻訳者は特に意識せずに上のように和訳していると思います。

 一方、エステルの構成酸がカルボン酸でない硫酸、リン酸等の場合については、上の命名方式は適用範囲外です。この場合、エステルという視点ではなく酸の誘導体の命名方式が適用されます。つまり、上の方式とは逆順の「(酸に対するカウンター部分)、続いて(酸の名称)」の形式で記載されることがあります。有名な物質での実例を挙げてみましょう。

1.ATP(adenosine triphosphate)

 生体物質のATP。カルボン酸式の命名に従えば「三リン酸アデノシン」となりそうですが、実際は良く知られる「アデノシン三リン酸」と呼ばれ、これ以外の名称はありません。

2.SDS(sodium dodecyl sulfate)

 界面活性剤のSDS。この場合も「硫酸ドデシルナトリウム」ではなく、「ドデシル硫酸ナトリウム」、即ちドデシル硫酸のナトリウム塩とすることが普通です。

3.Chondroitin sulfate

 膝軟骨でお馴染みです。「硫酸コンドロイチン」ではなく、「コンドロイチン硫酸」が一般的です。デルマタン硫酸など、同種の化合物についても同様な命名となります。

 お気付きのように、ここで挙げた5つの化合物の英語名称は全て "-ate" で終わっています。英語でのエステルの命名は酸のタイプに関係なく統一されています。日本語の場合、カルボン酸エステルについてのみ命名方式が規定されていて、その他の酸の場合には慣習的な命名がなされてきたと言う事情から、主に二系統に分かれています。

 そこで、英文和訳の際には、エステルの構成酸がカルボン酸の場合と、それ以外の酸の場合に分けて和名称を決める必要があります。特に後者の場合には各分野で一般に使われている名称を調べると、各業界や分野で馴染みのある名称を与えることができ、その結果、当該分野にふさわしい訳文となります。

 尚、化合物の命名(特に和名)に関しては、「化合物命名法(第2版)‐IUPAC勧告に準拠(日本化学会命名法専門委員会編、東京化学同人)、2016年2月」が最新のハンドブックとして入手可能です。化合物命名法は時代と共に変化しますので、常にアップデートされた最新のバージョンを参照してください。


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