翻訳のヒント[バックナンバー]

2021年10月 翻訳のヒント(英訳) - 「第三者的視点」

 苦労してできた訳をその翻訳者が客観的に見直すことは難しいものです。最初の翻訳方針が頭にセットされてしまうと、そこから離れられない傾向は程度の差こそあれ翻訳者に共通の課題でしょう。次の例を見てみましょう。

 ある翻訳原稿に、「少なくともBaとCaとTiとOとを含有するペロブスカイト型結晶構造を有する複合酸化物」という記載がありました。これに対し、ある化学系訳者は「含有する」と「有する」をパラレルに考えて次の訳を与えました。

a complex oxide containing at least Ba, Ca, Ti, and O and having a perovskite-type crystal structure

 この英語のフレーズの意味するところは、酸化物が元素記号で表された各元素を含み、且つペロブスカイト型結晶構造を有することです。確かに技術内容として間違いではありませんが、少し不自然な点に気付かれると思います。
 酸化物の構成要素として各金属はさておき、酸化物に当然存在する酸素について「Oを含む」との記載は重要な意味を持ちません。また、原文全体を通じた詳細な説明には、ペロブスカイト型構造の格子を構成する各サイト(原子)の構成原子が上の元素記号に対応する原子を含む旨の記載がありました。このことから、上の4元素は酸化物の構成要素と解釈するよりも、結晶格子を構成するサイトを占める原子と考える方がより合理的と思われます。この点を考慮した改訳例としては、

a complex oxide having a perovskite-type crystal structure which includes at least Ba, Ca, Ti, and O

 が挙げられます。

 元訳は技術的に間違ってはいませんが、改訳の方がより原文の意図に近いはずです。
 翻訳者は技術的な解釈に納得できた場合、特に理由がなければそれを再考するに至らないと思います。しかし、別な翻訳者やレヴュアーであれば、フレッシュな視点で訳文を検討できるので、元訳に隠れている問題点に気が付くことがあるものです。一人の翻訳者が二人分の視点を持てればそれに越したことはないのですが、言うは易し行うは難し。事務的なチェック以外にも技術内容を理解する人にレビューしてもらうことは、翻訳の品質向上への有益なステップであると思います。



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