翻訳のヒント[バックナンバー]

2019年6月 翻訳のヒント(和訳)- 化学物質名の和訳

 化学物質名(英語)の和訳の指針としては、日本化学会発行の「化合物命名法」というオレンジ色の表紙の冊子があります。IUPACの命名法の解説だけでなく、各元素や官能基の英名に対する和名のリストが掲載され、また名称フラグメントの字訳のルールが説明されているので、化学系の翻訳をされる方には必携の一冊です。しかし、和訳に関してはあくまで「指針」であり、特許明細書では「指針」以外の対応が必要ともなります。簡単な ethyl acetate を例にとり、この状況を説明します。

1.「原語名をかな書きにする(字訳)作業」

 日本化学会式では、英名を実際の発音ではなく、最小単位(フラグメント)を機械的にカナに置き換えることで和名としています。例えば、chlorideは「クロライド」でなく「クロリド」になります。-ol、-al、-ate 等の名称フラグメントを、「オール」、「アール」、「アート」等と字訳するルールについても書かれています。これに従えば、-ateの字訳は「アート」なので、例えば ethyl acetate の字訳は「エチルアセテート」ではなく「エチルアセタート」となります。

2.慣用名

 ところで、「エチルアセタート」は化学会の審査がある学術論文等では目にしますが、化学の現場では「エチルアセテート」のほうが一般的です。また、「アセテート繊維」など、「アセテート」は古くから馴染みがある名称です。特許明細書では「エチルアセテート」でも「エチルアセタート」でも、名称が一義的であれば問題ありません。しかし、業界での認知度が高い慣用名のほうが、明細書の記載には好まれます。

3.「英名を日本語に翻訳する作業」

 日本語の物質名は、英語以外の言語、その物質の起源など、色々な由来から定着してきました。そこで、化学会としても一部化合物については慣用名の使用を許容しています。一例として、カルボン酸の名称は、その酸の由来を表す慣用名の方がわかりやすいです。acetate はacetic acidの誘導基名です。acetic acid には名称「酢酸」が認められているので、ethyl acetate は「酢酸エチル」と和訳できるのです。「酢酸エチル」も「エチルアセテート」同様、一般に通用する名称です。英名を日本語に翻訳することで、和文明細書が読みやすくなることがあります。

4.個々の分野での事情

 化粧品等の容器に表示する添加成分、処方薬の成分等については、厚生労働省の「医薬部外品添加物リスト」「日本薬局方」にリストがあります。医薬系の特許明細書で、成分の説明や例示等の英文を和訳する際、これらリストにある名称(一般的な名称がほとんどです)を使うことが推奨されます。このようにすることで、明細書の和訳文のトーンが医薬系に近づきます。

 翻訳作業の現場では、翻訳メモリー、辞書などにより、化合物の英語名称の和訳が得られます。得られた訳語の素性(字訳、翻訳等)がわかると、複数の候補がある場合の選択の基準とすることもできます。化学会の「指針」があることを知っておきつつも、特許明細書では臨機応変に化合物名称を使いたいものです。



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